
光の差し込むこの景色に、
二度と彼がこの場に立つことが叶わないとわかっていたのなら。
そんな彼は、両親とともに、日課になりつつある病院へ運ばれていった。
なんとも言えない、鉛のような感情が、年明けからずっと体の奥底に横たわっている。
幸いにも、70を超えた両親はかろうじて自活できる程度で健在とはいえ、
18を超えた犬と、100歳を目前に控えたアルツハイマーな祖母のことがある。
目の前に並ぶ、プライベートな事実の数々に、もう一度Uターンすると決めた理由はなんだったっけ、という、本来の目的が霞むことが多い。
2年後、自分は現職を離れるつもりでいる。
新しい職場は、マインドコントロールを強いられ、この仕事に携わる人間全てを侮辱しているかのような劣悪さ、さらに交渉を続けても給与額面を提示されるのは入職後という恐るべき事態。
まんまと、その手中に入ってしまい、今、もう一度舵を大きく切らなくてはならなくなっている。
そこで冷静に考えてみた。
結局、自分はこの職業から抜け出せないのでは?と思った。
マインドコントロールや、労基違反していたり、職業独特のルール違反しているという、自分にとって許せない事実が目の前に揃っただけで、遠く遠く旅立つことを考えてしまっているのだ。
その代わり、Uターンして、3年くらい修行の旅に出て、そのあとは自宅でできる仕事を、と思い描いていた、そのレールの敷き直しをしなくてはならない。
親のことは気がかりだし、どうにかできないものか、と常々思ってきた。
でも、現職のままだと、この田舎では、現在のところ以外に働き口はない。
そこがもうダメなのだから、この場所で自分が生きていくことは不可能なのだ。
他の職種を考えないことはない。
常に考えている。
ただ、潰しが利かないのだ。ここまでくると。
それに、3度目の余命宣告が、その通りなら。
犯罪ではないけれど、自分の仕事に対してもっとも重要視していることをおざなりにされている職場では働きたくない、その一心で、どこかまた飛ぼうとしてる。
結局、自分は、仕事人間なのだ。
写真のような光景。
愛犬は自慢の脚力を骨肉腫で失い、寝たきりになって2ヶ月。
祖母は年齢相応の認知症に。
両者ともに、ついこの間まで元気だったし、こちらも元気なまま最後を迎えてくれたらと淡い期待は絶対だとどこかで思っていた。
でも、現実は残酷な姿を見せてくれる。
物事に絶対はない。
両親は健在だ。どんなに二人のことが苦手でも、親にはかわりない。
自分がまたほんの2、3ヶ月で、この家をまた去ったあと、いつまでも元気でいてくれると信じていても、どうなるかはわからない。
つまり、当たり前だった光景が二度とみられなくなることよりも、仕事を取るということ。
心のどこかで、いつも罪悪感しかない。
両親というか、父は常に、親と金はいつまでもあると思うな、孝行したい時には親はいない、家族は近くに住んで支え合うものだ、と転勤族だったくせに何をいっているのかはわからないけれど、口うるさく言っていた。
両親と兄のことが苦手で、それでも、生きるだけで迷惑をかけていると思い込んでいた自分にとって、恩義を返すためにはどうしたらいいのか、離れて暮らしていた自分は犯罪者なのか、とすら思っていた。
親のためにこうした方がいいんだろうな、と思っていたのは、もしかしたら、自分がこうすることで自分は救われるのかもしれない、という身勝手なものなのかもしれないが、もう、わからない。
そんな父は正月早々からフルスロットルで自分は早々に夕飯を済ませ、ようやく食卓につき、食事をしようとした家族に箸を置かせて、こう言ったのだ。
「自分は親を頼ったことはない。
親になにかを相談したことはない。
学校を出たら親は死んだと思って生きてきた」
と。
父とはほとんど会話はない。相談もしたことがない。
父に報告したのは、大学に行くから家を出るという話を土下座したときだ。
それももう14年も前の出来事。
父が今頃こんな話をしてきたのは、きっと、二度目のUターンをしてきた自分への苦言なのだ。
たとえUターンした理由が、老いていく祖母、母、犬のため、だとしても、父にとったら、ただ、仕事を放棄して帰ってきた自立できてない娘でしかないのだ。
そんな父自身は、自身が結婚するよりも前に他界した祖父の介護のために東京から九州にUターンしていた時期がある。
それでも、実の子には、上記のような言葉を元旦かつUターン初日に言うのだ。
きっと、もし、今悩んでいる、東日本での大きな仕事を引き受けると決めてこの家をあと数ヶ月で出ていくことになったら、自分は、二度とこの家に帰ってこないと思う。
そう、もう、両親は死んだと思って生きていくのだ。
いろんな人に、自身の末期癌のことは両親に言ったほうがいいとは言われていたが、
両親に言わない理由は、こう言う理由なのだ。
どんなに放射線診療で借金が膨らんでも、親には言わず、ただ仕事をしながら終わりを迎えたいのは、わがままでもなんでもなくて、幼少期から受けてきた、この窒息する家の無言の圧力の賜物である。
住宅建設ラッシュで田畑が家に変わっていっているこのエリアでも、
幸いにも四方に家が立っていない、日当たり良好なこの家は、
都会の陽の入らない家よりも、心が冷え切ってしまう。
差し込む光が、ただただ、眩しくて、腐らせていく。