カメラとあひるの水面下バタフライ。

写真は向かないって言われてからの、日々思うこと。

心がなにも音を立てない。

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今日、出勤して、

神様に見放された、と感じた。

やってはいけない、というか、最上級にやらかしてはいけないことではないにせよ、

小さな些細なこと。

些細なことでも、失敗していたのが分かった。

 

もっと取り乱すかと思ってた。

失敗をひどく恐れ、いざ、間違いや、失敗を目にしたら自分は2度と仕事が出来ないんじゃないのか?とまで思っていた。

 

取り乱すこともなく、

なんにも音がしないものだと気付いた。

確かに最上級の失敗ではないとはいえ。

 

でも、それはオトナとして普通なのか?

どうやらそれは違うらしい。

 

なんの感情も湧かない。

振り返り、2度と起こさないとはアタマで理解しているのに、細かな些細な感情が湧き起こらないことに驚いた。

手が震えてるのはなんとなくわかったし、

電話口も最初は普通じゃなかった。

でも、持ち直すまでに、時間はそこまでかからなかった。

というか、いつもよりも波が立たない。

 

嫌な予感はよく当たる。

ぼくの中で感情が凪いでいるときは、よくない傾向。むしろ、レッドカード。

ドクターストップ出ていたのを思い出した。この見えない病は。

 

え?あんなに笑ったり喋ったりしてたじゃん?

なんて思う人もいるだろう。

無意識に、病人に見られないように生きてしまっているので、その面しか見ていない人が大多数なのだ。

 

病んでる。

病んでることが問題なんじゃない。

病んでて、感情が凪いでいるのが問題なのだ。

 

だがしかし。

今朝、通勤途中に感じたものは、本物の感情だろう。

昨日、さんざん書いたこと。

大切なプリントマンの女の子の悩みを聞いて思ったこと。

そこから導き出した、自分の、写真へのこと。

 

とても、シンプルで、簡単なものだった。

 

おととい誰かは有名になりたいと言った。

ぼくはそうは思わない。

1パーセントも思わないわけではないけど、有名になって売れてとかは思わない。腹の足しになるなら別だけど。

 

だったら、なぜ、写真を展示するのか。

 

 

…きっと、そこに応えがある。

それを確かめるために、今、踠いてる。

 

 

答えは出るよ、もうすぐ。